by mizuki
みなさんこんにちは。今回はイクスタ特別コンテンツへ、ようこそ。ここでは、みなさんの先輩である現役大学生に、当時の受験勉強や今の目標をざっくばらんにインタビューし、みなさんの夢や目標を考えてもらう場所です。
今回は横浜国立大学に通う4年生、純恵さんにインタビューしました! とある企業のインターンシップ(※)を通して出会った、私(Mizuki)にとって特別な友人、石渡純恵。彼女の経験や物事に取り組む姿勢には、常に学ぶものがたくさんあります。そんな彼女との会話の中で、1つずっと印象に残ってた言葉が。それが「帰国子女だけど、英語にコンプレックスがある」という言葉。取材を通して、この言葉の真相を探りました。彼女の、自分で自分を導く姿、向上心を絶やさない姿、そして根本にあるポジティブな思考をぜひ身に置き換えてみてください。
※インターンシップ……学生が会社に一定期間籍を置き、事業内容の一部を体験できる仕組みのこと。短期・長期、有給・無給と形式は様々。
●プロフィール
石渡純恵(Sumie Ishiwata)
横浜国立大学経済学部4年生。アメリカでの小学校生活を過ごした経験を持つ帰国子女。帰国後は中高一貫の女子校へ通い、大学受験を経た。大学1年生からのインターンシップ経験や社団法人ハタモクでの活動経験から「女性の働き方」に対する視点を身に着け、現在も精力的に活動中。
● アメリカの小学校って、どんな授業だったの?
日本のような詰め込み型の教育ではなかったよ。授業はほとんどプレゼンテーションだったし、「自分が今、何を思っているのか」をいかに伝えられるかが重要だったから。
旅行でも「あなたはどこに行ってどう思いましたか?」って、自分の思いを伝えるのが大事だった。
いろんな人種がいたというのもあるし、あと留年も普通にあったんだよ(笑)。小学生で留年があったから、同じ学年でも違う世代に人がいて、それでも自然だったから敬語もないし、まわりに合わせなくていいっていう感覚があった。
● あたりまえのように自分らしくいるっていう環境があるんだね。
人と比べるというよりも、自分を出すってことが当たり前。アメリカの中でも、私の過ごした小学校ではキリスト教の「神という誰かが自分を認めてくれる」っていう認識を大切にしていたから、比べる必要はないんじゃないかな。
● 文化とかはどうだったの?
日本の小学校とは感覚が違う世界だった。例えばごはんも、カフェテリアで配られるんだけど、サラダだけなの。ベーコンとクルトンだけが入ってるサラダ。それだけ。食べ物に関しての健康志向はない(笑)。
子供たちもさ、食べ終わったらすぐ外で遊びたいから、一口食べてそのままゴミ箱に入れたりするの。で、遊べる時間になるまで並んでるの(笑)。食べ物に対しての意識が恐ろしいよね。そういう子たちがいっぱい。
● 想像できない(笑)。純恵はそういう姿を、子どものころから比較してみていたの?
そうかもー! 小さいころから物事を客観的に見る癖はあったと思う。
「なんでだろう?」ってよく考える子だった。だから当時も「生まれた国の文化背景が違うんだな」とか意識してたのかもね。
● 中学校、高校はどんな感じだったの?
中高一貫の女子校で、いわゆる進学校だった。5クラスあって、その内の3クラスが一般生と帰国生の混合クラスだった。でも英語のクラスが違うくらいで、あまり差はなかったよ。
● 高校では、みんなどんな大学を目指すの?
ほとんどが早慶上智を目指して、半数がそこに行くよ。国公立志望者はあんまりいなくて、たまに東大や一橋大学を目指して、入る子がいるかな!
● その中で横浜国立大学を目指した理由は?
試験の時に英語だけでなくて数学も課されていたことが大きいんだ。
自分の中で、「帰国子女だ」っていうことにコンプレックスがあったの。大抵の帰国子女は、英語ができるから受験も強いんだよね。そうするとどうしても、「もともと英語ができるってだけでずるい」って思われがちだから、「自分の学力=英語のおかげ」って思われてしまうことが悔しくて。
だから苦手だった数学を極めて、苦手を克服して成長できることを証明したかったの。
● そうだったんだ!
あと、経済的な面で国立を選んだというのもあって。昔から本が好きで、小説をよく読んでいたんだけど、当時読んでいた作品に出てきた女の子が、「自分の下には幼い弟がいて、お金はかけられない」って言ってるのを見て、「あ、私も同じだ!」って(笑)。
そんなに経済的に厳しいわけではないんだけれど、弟が2人いるから少しでも自分の学費を抑えて、家庭に貢献したかったんだよね(笑)。
そんな中で、横浜なら地元愛があるし、横浜国立大学には国立大学の中で唯一、経済学部の中に国際経済っていうのがあって。英語には興味がるから、「私にぴったりじゃん♪」って思ってね(笑)。
● なるほど(笑)。志望校は全部自分で決めたの?
うん、高校1年生の時に自分で決めた!
みんなが東大や一橋大学を目指すって言い始めたころは少し悩んだし、当時の模試の判定から考えたら範囲内だったけど、自分が勉強漬けになれるかどうか考えたときにそうではないなと思って。
「みんなと一緒になる」っていうのも、多分嫌だった(笑)。頑固だから、決めてからはぶれずに目指したよ。
あと、私立だとどの大学も英語の比率が大きかったから、それが嫌だったなあ。自分にとって英語は武器なんだけど、その武器が自分自身になってしまうのは嫌だったんだよね。
● その「ぶれない姿勢」はどこから来てるの?
うーん、まあ自分が頑固だっていうのと、その分、意志が強いんだと思う。
ちっちゃいころから、自分のプライドの高さと長女であるっていう責任感はずっと感じてきたかも。
アメリカの教育的に、「みんなと一緒よりも、いかに自分を持つか」っていうのがあるから、その影響も大きくて、周りに流されたくないし、自分が決めたことをぶれさせたくもないんだよね。
● なるほど。学部はどうやって選んだの?
高校で政治経済を勉強したときに面白いなった思ったことが大きいかな。
授業を受けてる中で、「あ、社会ってこうやって動いてるんだ!」って感動したの。アダムスミスの『神の見えざる手』を知った時も、「そんなもんで世の中動かされているの? すごい!」って、感動したんだ!
正直ほかの学部には、あまり惹かれなかったんだよね。一時期司書さんになろうかと文学部も考えたんだけど、それだけになってしまうのはもったいないなって思って。私は大学に入ったら、絶対やりたいことが増えると思うし、何にでも使える経済かなって思ったの。
今になって、やりたいことや興味が絞れてきたんだけど、その時に経済学は勉強しておいて困るものじゃないし、応用できて役立つ学問だったからすごいよかったよ。自分が思ってる通りになったよね。
● その「選択肢を増やす」っていう考え方、すごく好き!
そう、学部も結構迷ったけど、考えてみたら高校生のうちから将来を1本に絞って考える必要はなくて、いろんな道があるんだなって思ったんだよね。だから選択肢を残せる道を選べて私はよかったと思っている。
● 純恵って、すごくポジティブだよね!
うん、どポジティブなの(笑)。大抵のことは「絶対なんとかなるな」って思っている(笑)。
物事を大きく考える癖は、周りに帰国子女の子が多かったというのもあるよ。みんな結構「世界の問題を解決したい!」っていうのが強くて、自分たちでそれを追いかけていく子たちだったから。
普通の、帰国子女のいない学校で「私は世界を変えたい!」って言ったら「は、何こいつ?」って思われたりするかもしれないけど、母校はそういうことを真剣に言う子が多かったかな。でもこの感覚が“ポジティブだ”と気付いたのは大学2年生くらいのとき。それまでは普通だと思っていたの。アメリカ時代の経験と高校の環境が大きく影響しているなって思う。
● いい環境だったんだね!
それはすごく思う! 正直私、小さいころはみんなの中で埋もれていたタイプなの。だからこうして、大学生になってインタビューされるようになるなんて思ってもいなくて!
でも、「大学に入って、こんなこともできるんだなあ」って思ってからは自分を見つめ直すようになったし、埋もれてた感覚から解放された感はある! 正直全然違うかな、中高までとの私とは。
「私はこうしたい」、意志が自分を突き動かし、ぶれずに目標を追っていく彼女の姿がとても印象的だったインタビュー前編。後編では、そんな彼女が抱えた「英語(帰国子女)コンプレックス」と本命校・横浜国大の受験秘話を大公開。そして、これから先の目標についても迫ります。
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