中宮寺|日本史用語集
中宮寺の概要
厩戸皇子(聖徳太子)が母親である穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の発願を聞き入れ建立した寺。奈良県斑鳩町にあり法隆寺に隣接している。本尊である半跏思惟像と天寿国繍帳が残されており、国宝となっている。
中宮寺の解説
厩戸皇子(聖徳太子)が建立した聖徳宗の尼寺。
法隆寺の東方に位置しているが、創建当時はさらに400メール程東方にあったということが発掘によってわかっている。現在の本堂は近代に入ってから建てられたものであるが、創建当時は四天王寺式伽藍配置であった。
本尊として本堂に安置されている半跏思惟像は、やさしく微笑んでいる表情を「アルカイックスマイル」(古典的微笑)と表現されている。椅子に腰かけたような状態で座っており、右足首を左足の膝の上に組み(半跏)、右手の指先を考え込んでいるかのように頬に軽くあてている(思惟)。如意輪観音とも弥勒菩薩とも伝えられており、現在では半跏思惟像と言う名が正式名称となっている。
7世紀後半の作とされており国宝となっている。 天寿国繍帳は日本に現存する最古の刺繍品。厩戸皇子の死後、妃の橘大郎女(たちばなのいらつめ)が厩戸皇子をしのぶために作らせたもの。
布や糸は損傷が激しく、現存するものは一部でしかない。中宮寺で公開されているのはレプリカであり、現物は奈良国立博物館に寄託されている。