乙巳の変|日本史用語集
乙巳の変の概要
乙巳の年(645年)に起こった政変。中大兄皇子や中臣鎌足らが蘇我入鹿を暗殺し、蘇我氏本宗家一族を滅ぼしたクーデター。大化の改新の発端となる。
乙巳の変の解説
厩戸皇子(聖徳太子)亡き後、蘇我氏は専横を極め、蘇我馬子の子である蝦夷とその子の入鹿が国政をほしいままにする。蘇我氏に都合の良い古人皇子を皇位継承者に擁立するため、次期天皇候補であった厩戸皇子の子である山背大兄王を自害に追い込む。
このようにして蘇我氏一族の、専横な振る舞いが多くなっていった。 政変の必要を感じた中臣鎌足は、蹴鞠に興じている中大兄皇子が靴を飛ばした際にこれを拾い上げたのを契機に接近し、政治改革を持ち掛けて同志となる。
学問僧南淵請安のところに学びに行く際に、2人は政変の計画を練ったと言われている。政変を企てながら、蘇我倉山田石川麻呂も仲間に引き入れた。
乙巳の年(皇極天皇4年:645年)6月、三韓進調(新羅・百済・高句麗の使者が挨拶に来る儀式)が行われる大極殿に出席していた蘇我入鹿を、儀式の最中に中大兄皇子が暗殺した。殺害の役割を担っていた者が怖じ気づいて動けなくなったため、中大兄皇子が自ら殺害に及んだのである。
その翌日に蘇我蝦夷の邸宅も取り囲み自害に追い込んだ。これらの一連の流れが大化の改新につながるクーデターとなった。