浮浪|日本史用語集
浮浪の解説
律令制下では、農民が戸籍に登録された土地(本貫地)で班田を受け、調や庸など各種租税を負担することが原則であった。
しかし、飢饉や自然災害などが相次ぎ、また農業技術も未熟であったため、荒れてしまう農地も多かった。その他、男子には兵役や雑徭などの労役、調・庸を京まで運ぶ運脚などの重い負担があったため、農民の生活に余裕はなかった。
そのため、本貫地を離れて浮浪する者や行方不明になり調・庸も納めない逃亡が相次いだ。
なお、浮浪する者を浮浪人と呼び、政府は浮浪人に対しては、浮浪先でも調・庸を徴収することとして脅すなど、浮浪人を本貫に返そうとしたが相変わらず浮浪・逃亡は減らなかった。
そのため、天平年間頃から、浮浪人は現地で浮浪人帳に登録され、公民とは別な身分となった。 上記のように、口分田からの税が安定しなかったことから、政府は、百万町歩開墾計画をたて、三世一身法を打ち出した。
しかし、あまり成果が上がらなかったため、743年に、許可をえて租を納めれば、一定面積にかぎって土地の私有を永久に認める、墾田永年私財法という政策をうちだした。