多賀城|日本史用語集
多賀城の解説
宮城県多賀城市にあった城柵、724年に大野東人によって設置された。陸奥の国府と鎮守府が置かれ、古代東北の政治・軍事の拠点、蝦夷経営の根拠地となった。
802年に坂上田村麻呂が蝦夷への討伐を行い、戦線の移動とともに鎮守府が胆沢城に移転されたあとは国府のみとなる。 なお、鎮守府とは、蝦夷征討のための役所であり、平安初期には巨勢野足が陸奥鎮守府将軍となり、東北経営にあたった。
胆沢城に移された後、平泉に移転し、奥州藤原氏滅亡により廃絶した。 多賀城は南の太宰府とともに律令制支配の強化を図るための拠点となったが、10世紀後半以降は次第に管理されなくなり衰退した。
しかし、11世紀後半前九年の役や後三年の役の際には軍事的拠点として機能し、南北朝時代初期には後醍醐天皇による建武政府により北畠顕家、北畠親房らが陸奥守に任じられた。
北畠親房、顕家は義良親王(後村上天皇)を奉じて多賀城に入り、東北地方を支配する新政府として、陸奥将軍府を設置した。 1978年には、漆がしみ込んで地中に遺存した漆紙文書が発見された。
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