長安|日本史用語集
長安の解説
渭水地方の中央にある、現在の陝西省西安。中国の漢が都城を造営し、長安と名付けた。漢の初代皇帝である高祖(劉邦)の時代に建設が始まり、紀元前190年、第2代皇帝である恵帝の時代に完成した。
東西約6km、南北5kmに及ぶ規模で、各辺に門があり、東西に市が設けられた。 後漢は都を洛陽に移したが、五胡十六国時代には前奏の都となった。南北朝時代の北朝、西魏・北周の都となった後、隋の文帝により近辺に大興城が建設され、唐の都長安として継承された。
唐の長安城は東西約10km、南北約8kmまで拡大され、北辺の中央に大極殿を中心とした宮城があり、碁盤目状に道路が張り巡らされ、東西南北に区画された。城壁で囲まれ、城門は夜間は閉じられていた。宮城周辺には三省六部の官庁街、東西に市が設置されていた。
玄宗皇帝の時代には人口が100万人となり、交易のために来城する商人などにより賑わい、国際都市として栄えた。また、場内には多くの仏教寺院が建立された。 なお、長安は日本の平城京や平安京のモデルともなったが、平城京や平安京には外壁はなかった。