大極殿|日本史用語集
大極殿の解説
大内裏の朝堂院の北端中央にあり、内部には高御座が設置され、天皇が政務を行う場所であった。次第に、即位の大礼や国家的儀式が行われる場に変わっていった。
大極殿の名前の由来は万物の根源、天空の中心を意味する「太極」であり、帝王が世界を支配する中心という意味を含む。 条坊制が採用された初の宮城として藤原宮には大極殿があり、朝堂院の正殿として設置された。
平城宮では恭仁京遷都までの大極殿を第一次大極殿、奈良に再び都が戻されてからの大極殿を第二次大極殿という。第一次大極殿は朱雀門の真北に位置し、第二次大極殿は東寄りの壬生門の北に位置している。奈良時代前半には平城宮には第一次大極殿と第二次大極殿が両方とも存在したことが分かっている。
第一次大極殿では正月には大極殿前庭において天皇に対する諸臣の朝賀が行われ、その他、即位式や外国使節謁見など朝議の場として使用された。
第二次大極殿では日常の政治が行われ、機能分化していたが、奈良時代の後半には儀式も第二次大極殿にて行われるようになった。 平安宮の大極殿は朝堂と直接つながり、朝堂院と一体化が深まっていた。 平安時代中期以降、焼失が相次ぎ、朝廷の儀式の中心は紫宸殿へ移行していった。