平城京|日本史用語集
平城京の解説
710年から784年の間の都で、元明天皇が藤原京から遷都してから、桓武天皇が長岡京に遷都するまで使用された。途中、聖武天皇が藤原広嗣の乱などの政情不安の中、恭仁京、難波京、紫香楽京など遷都したが、745年に再び平城京に都が戻された。
平城京は藤原京の真北にあたる奈良盆地北端を京域に、唐の都城である長安に倣って建設された。東西約4.3km、南北約4.8kmの大きさで、都城の周囲には城壁はなく、正門である羅城門のある都城南面のみに築造された。北側には大内裏があり、「天子南面」の思想が反映されている。大内裏の南側には朱雀門が配置され、朱雀門から羅城門まで南北に朱雀大路が走っており、朱雀大路の左右は左京と右京に分かれるなど、条坊制が採用されていた。また、都の東側の左京を拡大し、春日山麓に外京という街区が設けられていた。
なお、1959年以来、平城宮の本格的な発掘調査が行われ、現在は史跡公園として整備されている。
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