光仁天皇|日本史用語集
光仁天皇の解説
709年から781年に生き、770年から781年に在位した第49代天皇。天智天皇の孫で、「白壁王(しらかべのおおきみ)と呼ばれていた。実務にたけており、光明皇太后の葬儀の際には山作司(みやまつくりのつかさ)になった。また766年には大納言に就任した。
770年、称徳天皇が病死したことにともない、藤原百川ら重臣たちの推薦により、61歳で即位。
第40代天武天皇以来、天武系の天皇が続いたが、光仁天皇の即位により、天智系の天皇が現在に至るまで継続するようになった。光仁天皇は、孝謙上皇(称徳天皇)の寵愛を受け台頭していた太政大臣禅師であった道鏡を下野に追放し、和気清麻呂を召喚した。また、行政の簡素化・財政緊縮を目指して官人を縮減するなど、政治の刷新を行った。この施政はのちの桓武天皇に引き継がれ、平安時代の土台を築くこととなったと言われている。
781年に光仁天皇は山部親王(後の桓武天皇)に譲位し、翌年782年に死去した。