和気清麻呂|日本史用語集
和気清麻呂の解説
733年から799年に生きた貴族で、備前国藤野郡(今の岡山県和気町)出身。姉の和気広虫とともに都に上京し、朝廷に仕え、称徳天皇によって取り立てられた。
769年に称徳天皇に寵愛された僧侶である道鏡が、皇位継承を狙い、朝廷に宇佐八幡宮の神託を報告。それを受けた称徳天皇は、和気清麻呂に神託の真偽を確かめるよう命じ、宇佐八幡宮に派遣した。
しかし、姉広虫の助言を受けたこともあり、和気清麻呂は真の神託を受けたとして道鏡の排除を進言した。道鏡はこれに怒り、和気清麻呂を「別部穢麻呂」と改名の上、大隅国に流刑に処した。同時に姉の広虫も「狭虫」と改名させられ備後国に流刑となった。
道鏡により足を痛めた和気清麻呂を救った猪の逸話が有名である。
770年、称徳天皇が病死し、光仁天皇が即位すると、道鏡は下野に追放された。光仁天皇により和気清麻呂と広虫は流罪を解かれて都へ帰ることとなり、名誉が回復した。
桓武天皇が即位すると、和気清麻呂は予定通りに進まない長岡京の造営中止を進言し、京都に再遷都することを提案した。造営大夫として新都造営に活躍し、その後も治山治水事業を手掛け民生の安定を図った。
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