自分は努力できる人間だという社会的証明を得るために勉強するべし
横浜国立大学のダンディーです。「勉強なんて将来何の役にも立たない」。皆さんも一度は聞いたことがあるでしょう。皆さんはどう思いますか?私はこれを正しいとは思いません。なぜなら、大学受験は社会に出てから役に立つからです。
まず、なぜ受験するのか。結論から言いますと、大学受験の結果でどれだけ努力出来るかを見極めているのです。受験というのはスポーツのように才能が大きく左右するものではなく、かけた時間がものを言います。
目標に向けて努力し、考えることができるかどうか
例えば部活が終わった後、例えば周りが遊んでいる時に、肉体的にまたは精神的につらい時に勉強出来るのか出来ないのか、そこまで言わなくてもすきま時間など、わずかな時間も惜しんで勉強できるのかが重要になってきます。
もちろん、様々な状況があり個人差が生まれてきますが、そこに文句を言わずいかに努力を出来るか、その状況をどうしたら活かせるかという事を考え続けることができた人が合格を勝ち取っていきます。
高校でも部活や何かの課外活動で結果を出した人ってなんだか信頼できますよね。それはその結果を出すまでに着実な努力をしただろうことを想像できるからです。私たちが社会に出てからもそういった信用は重要になってきます。むしろ、初対面や最初の方はそういった結果くらいしかその人を信頼できるできる要素がないのです。
大学受験で得ることができる能力は社会に出てこそ役に立つ
では冒頭の文に戻りましょう。「勉強なんて将来何の役にも立たない」。なぜ私がこれを正しいと思わないのかです。
それは勉強の中に社会に出てからも役に立つ様々な要素が眠っているからです。
大学受験で求められ、社会に出て仕事や家庭などを持ってからも役に立つ能力として、論理的思考法、推測法、発想法、暗記法、消去法、記述法等々、まだ他にいくつもあります。ここに挙げただけでも社会に出てから必要な力ばかりだとわかるのではないのかと思います。
意識的にせよ無意識的にせよ、自分自身で考えこれらを身に着けるために試行錯誤していくために勉強というものがあります。
だからこそ勉強をする必要があり、上の理由と合わせて受験というものは社会での重みをもっているので、この2つの理由から私は受験をするという事の意味が見いだせるのではないかと思います。