偏差値50の高校から早稲田大学政治経済学部に合格できたワケ
2月28日の午前10時半、私は自宅で第一志望校である早稲田大学政治経済学部の合格発表を聞こうとしていた。
早稲田大学の合格発表は電話で行われる。発表時刻である10時を過ぎても、結果を聞くのが恐ろしくて、ずっと受話器を取れないでいた。ワクワクとドキドキが入り混じった気持ちのまま時間が過ぎていく。
覚悟を決め、受話器を取った時には、さらに10分ほど経過していた。やっとのことで受験番号などの必要事項をダイヤルし、あとは合否を聞くだけになった。ちょうどその時、突然今までの受験勉強の思い出がふと蘇ってきた。
朝から晩までペンを握りしめ、勉強に打ち込んだ日々。「そうだよ、俺はあんなに頑張ったんだ」、こう自分に言い聞かせ、答えを待った。
少しして、受話器から無機質な声が聞こえてきた。
「・・・とうございます、合格です。繰り返します、おめでとうございます・・・」
この言葉を聞いた瞬間、あまりの嬉しさに誰もいない家の中を叫びながら飛び跳ねたのを覚えている。この時が今までの人生の中で最も幸せな瞬間だったことは間違いない。
早慶のそれも最難関学部に合格と言うと進学校に通っていたと思う人も多いだろう。しかし私の高校は進学校とは程遠い、毎年早慶の合格者など一人も出ない高校の出身である。
ではそんな私がどのようにしてこの第一志望校合格を勝ち取ったのだろうか。
【落ちこぼれの高校時代】
私は中学生の時から陸上部に所属しており、部活を中心に動く日々を過ごしていた。しかし、その部活を言い訳にして勉強という勉強は全くしておらず、内申も模試もぼろぼろ。
そんな感じのまま、高校受験もテキトーにやり過ごして、結局スポーツが盛んな偏差値50の高校に入学することになった。そこでは自分と同じようにスポーツ一本で勉強に全く興味のない生徒が多く、そんな周りの雰囲気に流されて、相変わらず勉強や受験を意識することなく高校生活を過ごしていた。もちろん校内模試などもあったが、比較的偏差値が高く出ると言われるベネッセ模試のマーク模試でさえ、偏差値は40~50あたりをうろうろしているような学力の低さだった。そんな中、「俺には部活があるから」と部活だけを拠り所にし高校生活を送っていた。
【転機】
そんなある日、自分に転機が訪れる。忘れもしない高校2年生の夏だった。突如として、本当に突然、早稲田大学に行きたくなったのだ!!!
なぜ急に早稲田大学に行きたくなったのかは自分でもはっきりとは覚えていない。ただあのエネルギッシュで、少し変で、全力でバカをやる大学のイメージに惹かれたのだ。また心のどこかで自分はやればできるんだと思っていた節があるのかもしれない。
もちろん目指し始めた当時の学力は早稲田を目指すなんて馬鹿げていると思われるレベルだった。しかしそれでも本当に雲の上の存在であった早稲田大学を第一志望として勉強を始めた。
【受験生として】
こうして高校2年生の夏から受験勉強というものを始めたワケだが、参考書や勉強法の知識もなく、また部活の練習もあり、本当に大変だった。それでも早稲田に行きたいという気持ちと俺は早稲田を目指しているんだという高揚感が自分を引っ張ってくれた。
受験勉強のスタートとしてまずは情報収集をした。学力の現状とそれに見合った参考書や学力を効率的に伸ばす勉強法について調べ、これからの大まかな勉強の流れを考えた。
受験勉強をする上で、目前の課題をこなしていくというのは勿論大切であり、それが出来なければ合格も不可能だが、俯瞰的に自分を見つめ、長期的な視点から受験勉強を考えることはそれ以上に大切なことである。長期的な目標というものが自分の中に確立していないと途中で必ずブレてしまう。
早稲田大学は3教科受験であり、その中でも英語の配点が高かったため(多くの私立大学も同様の傾向がある)、まず英語から手を付けた。単語帳と文法問題集を揃え、昼休みと部活の後の少ない時間をできる限り使って基礎固めをした。
ちょうど同じ時期に大手予備校にも通い始めたが、部活で忙しかったので、週に1,2回映像授業受けに行くという感じだった。
この予備校の入塾時にセンターレベルの模試の過去問を解くことになるのだが、200点満点で80点と、全く対応出来なかった。長文もさっぱりわからずかなりショックを受けたが、2か月後の模試で絶対高得点を取らなければと焦りが生まれ、一層勉強に熱が入った。
そして10月になり、その模試がやってきた。受験勉強を始めて以来、基礎固めを継続してきたため自信もあった。実際に解いてみると文法問題には手ごたえを感じたが、やはり長文問題がさっぱり出来ず、後半はほとんど勘でマークをした。
少ししてその答案が返ってきた。全く期待を持てていなかったが、なんとその点数は158/200と勘でマークしていたにも関わらず結構点が取れてしまった。
しかし、長文問題が殆ど読めなかったので、このままでは次の模試で同じ点数はとれないだろう、と基礎固めと並行して長文演習を行うことにした。
このように模試などの区切り毎に自分の苦手な部分を把握し、それを修正するように勉強内容を変えていくということは受験勉強において必須事項である。自分の弱点を見つめ直すことは決して簡単なことではなく、辛くさえもあるが、これが出来るか出来ないかでその後の成績の伸び、引いては大学の合否に直結してくる。
そして11月遂に自分は部活をやめた。今まで、高校生活の主柱となっていた部活。しかし、今では自分の受験勉強の障害でしかなくなっていた。
確かに、一生懸命やり続けてきたことを放棄することは必ずしも勧められることではない。しかし、自分が本当に叶えたい目標があって、それを本気で目指すつもりならばすべてをかなぐり捨てて努力することもまた必要なことだ。
そうして部活をやめ集中して弱点を抑えつつ勉強した結果、12月のセンター模試では長文にもしっかり対応でき、173/200点という高得点を取ることが出来た。ここまでの道のりは順調そのものだった。
【スランプ】
おそらく、当時の早稲田大学志望の受験生の中で、トップ層に食い込める程度の点数を獲得できたが、受験とは常時順風満帆とは行かないものだ。年が明けてから私はスランプに陥ることになる。突然英語が読めなくなってしまった。12月以降何度か模試を受けたが、点数はガタ落ちし、それが数か月続いた。部活をやめたことで、今まで以上に勉強はすることができていたが、全く成績が伸びなくなった。ベストとは全く言えない点数を予備校で張り出され、
「こんなもんじゃないのに」、と本当に悔しかったのを覚えている。
6月の模試でやっとスランプから抜け出し、最高点を出すことが出来たが、この経験からスランプについてわかったことがある。
勉強していなければ、成績が伸びないのは当たり前だが勉強はしているのに全く伸びない時に、まず考えてほしいのが今やっている勉強は本当に自分の現状に合ったものなのかどうかについてだ。自分の現状、例えば得意、不得意といったものは少しずつ変わり続けるものである。常に自分の現状の分析をし続けそれに合わせた勉強を行わないと、気付いたら全く的外れの勉強をしてしまっていた、なんてことにもつながりかねない。
また日々、同じような勉強をし続けることでそれがマンネリ化してしまい勉強の質が落ちてしまうこともスランプの大きな原因だ。なあなあで勉強しても絶対に成績は伸びない。一つ一つの問題に全力でぶつかること、これを忘れないでほしい。
【夏休み】
そうしてあっという間に受験の天王山とよばれる、夏休みに突入した。
私の通っていた予備校では、15時間×40日の600時間勉強が目標として掲げられていたため(結局私は達成できなかったが)、朝6時に起きて7時から予備校に行き、10時に家に帰りさらに勉強というサイクルで、寝るときを除いてほぼ一日中勉強をしつづけた。
この夏休みごろには、英語の基礎固めはほぼ終わっていたため、第一志望ではない学部の赤本を中心に長文演習を積み、読解力向上を主眼に置き勉強を行った。国語は、センター模試の評論文がまだ安定して解けるようになっていなかったため、こちらも演習に次ぐ演習という感じだった。
世界史は8月末に控える模試で、9割を超えることを目標に近現代史の暗記に時間を割いた。ただこれだけの時間毎日机に向かい続けると勉強の質がだんだんと下がってきてしまうので、夏休みに入る前から自分に合う勉強時間を見つける努力も必要だ。
質の低い勉強を長時間続けても、ただやった気になるだけで効率よく学力を伸ばすことはできない。
そして8月末には、センター模試がやってきた。夏休みの成果の確認をする重要度の高い模試だったので、あまりにも緊張して3日前ぐらいからよく眠れなかった。今振り返ってみると、受験本番よりも緊張が大きかったかもしれない。
しかし、模試は緊張して受けて、始めてわかることが多くある。ここでいかに経験を積めるかは本番のパフォーマンスに大きく影響するので、本番だと思って模試を受けてほしい。模試の最中に寝るなど論外だ。
結果は3教科で86%ほどの得点を獲得出来たので、夏休み後の過去問演習への弾みをつけることが出来た。
【過去問演習】
夏休みが終わり、いよいよ過去問演習が始まった。この時期に過去問演習を行うのはあまり一般的ではないが夏休みまでに過去問を解けるレベルまで学力を持っていければ志望校合格に非常に近づくはずだ。
先にも述べたが、夏休みの時点で、すでに早稲田大学や他大学の過去問を既に解き初めていて手ごたえを感じられるものもあったが、第一志望学部である政治経済学部の過去問はレベルが違っていた。
英語も国語も世界史も全く歯が立たなかった。このままだと絶対に自分は落ちるなと感じたほどだった。しかし模試後で気が抜けていた時期に焦りを持てたことで、夏休み後にダレることなく勉強に打ち込めたのは非常に大きかった。
これ以降は、その焦りを原動力に勉強時間のほとんどを、過去問を解き、その弱点の補強を繰り替えし行うことに費やすことになる。ここから過去問を鬼のように解き、英語に至ってはおそらく100年分以上の問題を解いた。
過去問を解く際は解くこと自体が目的となってはいけない。飽くまでその演習から得られた情報をもとにその後の勉強法に修正を加えたり、問題形式を体に染み込ませるというところに過去問演習の意義がある。それを忘れずに過去問を解いてほしい。
【模試】
夏休みが明けた秋から冬にかけて、各予備校の模試が連続した。9月の駿台記述模試、11月の河合塾の早慶プレ、代々木ゼミナールの早稲田プレの3つが私の受けた主な模試だ。
各模試での第一志望であった早稲田大学政治経済学部の判定は、
駿台記述模試:A
早慶プレ:B
早稲田プレC
という良くも悪くもない結果だった。
最終的に志望校に受かった身から模試について言わせてもらえば、こういった判定は全くあてにならない。例えば、A判定が出た駿台の記述模試では政治経済学部を第一志望としていた受験者が100人ほどで母集団があまりにも少ない中での判定だった一方で、代ゼミの早稲田プレでは政治経済学部を第一志望とする受験生の中で、10位前後の順位であったが判定はCだった。
模試は飽くまで自分の弱点の把握であり、たとえ判定が良くても、最終的な受験の合否などわからないし、判定が悪かった場合もそれをバネに今まで以上に頑張ればいい。ここで一喜一憂して時間を浪費するというのは最悪のパターンだ。
【年明け~センター試験】
大きな模試も終えた辺りから本格的に冬が到来し、毎朝布団から出るのが億劫になるくらい冷え込むようになった。この時期にはもう私立高校は入試休みに突入していたので、公立高校に通っていた私は勉強時間が十分に確保できないことにもどかしさは感じつつも、早慶の志望学部の過去問はあらかた解き終えていたのでセンター試験の対策を始めた。
12月にあったセンター模試では3教科で9割近い点数をとれていたこともあり、あとは問題形式になれ、時間配分を細かく考えることでいかに一点でも多くとるかというスタンスでセンター試験対策に取り組んでいた。
そんなこんなで年明けを迎えた。大晦日に放送される特番や紅白をちゃんと見たかったが、グッと堪え早めに寝て1月1日の朝から初勉強を開始した。
そしていよいよセンター試験本番を迎えた。
前日の夜はよく寝ることができ、集中した状態で試験会場に入ることができた。今までの模試での反省を活かして、試験中はとにかく見直しとマークミスのチェックを徹底して行った。そのおかげでケアレスミスをほぼせずに全教科を終えることができた。
このような試験本番では何をするのかといった対策を模試などの機会に小さな経験として積み上げていくことで、模試などの判定では測れない実力として試験本番に現れるのだと私は思っている。
結果は、
英語194/200
国語180/200
世界史98/100
とすべての科目において自己最高点を更新するという大成功を収めることができた。家に帰って自己採点をしたのだが親と一緒に大喜びしたのを覚えている。
センター試験利用で出願していた大学全てにも合格することができ、とりあえずホッとすることができた。
青山学院大学国際政治経済学部国際政治学科:合格
中央大学法学部法律学科:合格
立教大学法学部政治学科:合格
しかし満点が取れそうな科目があったのと、国語の小説で失敗をしてしまった悔しさがあったので気を緩めることなく勉強に打ちこむことができた。悔しさというのは偉大だ。悔しさがあるからこそ成長することができる。
【一般入試】
そしていよいよ一般入試の日が近づいてきた。
第一志望に落ちてしまったらどうしようというプレッシャーが日に日に大きくなり、あまりの重圧に寝付けなくなってしまうなんてこともあった。その中でも、絶対に早稲田の政経に行く、という気持ちだけが私を支えてくれた。
以下が私の受けた一般入試の日程である。
上智大学 法学部国際関係法学科:2月5日
早稲田大学 文化構想学部:2月12日
早稲田大学 法学部:2月15日
慶應義塾大学 法学部政治学科:2月16日
早稲田大学 政治経済学部政治学科:2月20日
早稲田大学 社会科学部:2月22日
最初の試験は上智大学法学部だった。
何か年分解いた過去問は合格最低点を大きく超えていたため、全く緊張することなく当日を迎えた。今思えば、完全に舐めていた。気が緩んだまま、試験に挑んだ。そして出鼻を思いっきりくじかれた。なんとか合格することはできたが、本当にこれで第一志望に受かるのだろうかという不安が大きくなってしまった。ただこれを機に気持ちがますます引き締まったのでそれはそれで良かったのではないかと今となっては思っている。
最初の早稲田大学の試験だった文化構想学部も非常に調子が悪かったのだが、上智大学の試験での反省を活かし丁寧に問題に取り組んだことが幸いし合格することが出来た。上智大学の学部の方が私の興味をそそるものだったので、文化構想学部は志望順位としては下だったが、初めて早稲田大学からもらった合格だったので感慨深かった。
ここから試験はさらにハードになっていく。
早稲田大学法学部と慶應義塾大学の法学部が連続で続き、その後には第一志望が待っていた。
早稲田大学法学部の試験はあまりに緊張して眠ることが出来なかった。実は文化構想学部の時から続いた不調をまだ引きずっていたのだ。頭が全く回らない状況で、前日にやった過去問が全く解けないほど調子が悪く、本当にこのまま早慶すべてに落ちてしまうんじゃないかという不安で日付が変わるまで全く寝付くことが出来なかった。しかし当日は逆に割り切ることができ、やるだけやってそれでだめだったらしょうがないとすっきりした気持ちで早稲田に向かうことが出来た。ほどよく緊張していたおかげで、眠気もあまり感じず試験を受けることができた。
次の日の慶應義塾大学法学部の試験は前日の疲れもあり、集中し続けるのが本当に大変だった。
これは必ず覚えておいてほしいことだが、試験本番は模試とは全く違う。疲れの度合いなどは比べ物にならないため、連続で試験を受けようと考えている場合は本当にそれに耐えられるかもう一度考えたほうがいい。合格の確率を上げるどころか逆に下げてしまうことにもつながりかねない。
慶應の最難関学部ということもあり、英語と世界史は難しかったがほぼ対策していなかった小論文が結構書けたので、自信をもって試験を終えることが出来た。
そしていよいよ早稲田大学政治経済学部の試験の日を迎えた。
ただこの日のために、受験勉強をしてきた。どんなにつらくてもスランプが来てどれだけ問題が解けなくなっても、どれだけ眠くてもただこの日のためだけに勉強してきた。そう思うと不思議と高揚感に包まれ、緊張することなく非常に良いコンディションで試験本番を迎えることが出来た。
最初の科目は英語だ。政治経済学部の英語の問題はおそらく早慶のすべての学部の中で読まなければいけない英文の量が最も多い学部だろう。その上、自由英作文もあり、時間の余裕は全くない。後でわかったことだが、2016年度は特に問題量が多く、長文のワード数は過去の問題で一番多かったようだ。
緊張で最初の大問があまり解けず焦りそうになったが、とにかく冷静に冷静にと自分に言い聞かせ落ち着くことが出来たので、残りの大問はしっかりと解くことが出来た。
次の国語は、形式が大きく変わりはしたものの難易度に大きな変化はなく、古文でコケたことを除けば割と手ごたえを感じることが出来た。
最後は世界史だ。ここまで2教科を終え、なかなかいい感じに来ていたのでこれはもしかしていけるんじゃないかと気が抜けそうになったが、そういう時こそ集中しないと痛い目を見るものだ。そう言い聞かせ、問題を解き始めた。解き始めるとやはり難しい。私立大最難関の世界史なだけはある。記述問題もしっかりと書けたとは言えずここに来て急に不安になってしまった。
終わってしまったことなので、いろいろ考えても仕方ないと思い2日後に控えた最後の試験である早稲田大学社会科学部の試験に備えることにした。ちょうど同じ日に早慶の法学部の合格発表もあるので、第一志望の試験が終わったとはいえ、そわそわした気持ちは収まらなかった。
そうして2月22日、受験生最後の日を迎えた。
透き通った青空が広がる冬晴れの朝だった。受験勉強をするのも今日でもう終わりかと考えると胸が締め付けられる思いがした。
最後の試験会場は政治経済学部の校舎である3号館だった。本当に綺麗な建物で、ここでもし授業が受けられたらどんなに幸せだろうかと、そんなことを妄想しながら英語の試験を受けていた。英語の試験の後は既に合格発表の時間を過ぎていたので、合格発表の確認のために会場の外に出た。
3号館横のベンチに座り、まずは早稲田大学法学部の合格発表を聞くために、電話を掛けた。少しして合格のアナウンスが流れたので自然とガッツポーズが出た。
次は第二志望の慶應義塾大学法学部の合格発表だ。こちらはネットでの合格発表だったので、自分のスマホに受験番号を入れ、どきどきしながら合格発表を見ると、「合格です」の文字が見えたのであまりの嬉しさに飛び上がって喜んだ。傍から見れば相当変な奴だったと思う。
すぐに親や担任の先生、友人に電話をし、本当に喜んでもらえた。これで今までの努力がやっと報われたんだという気持ちだった。
社会科学部の残りの試験を受けるか迷ったが、最後はしっかり締めようと思い国語、世界史も解き清々しい気持ちで帰宅の途に就いた。
家に帰って久しぶりにテレビを思いっきり見た。すべての重圧から解き放たれ、最高の気分だった。
あとは、2月28日の早稲田大学政治経済学部の合格発表を待つだけだ。
それからは何もすることがないまま、
時間は過ぎていき気づけば合格発表の当日になった。
これが冒頭の合格発表までのストーリーだ。
こうして私の受験生活は幕を閉じた。
振り返ってみると苦しいことだらけだったが、本当に充実した日々だった。
何かに一生懸命になって努力をし続けること。これは本当に素晴らしいことだと思う。もちろん、それが勉強でなくたっていい。
こうなりたい、ああなりたい、こう感じることはいくらでもあるだろう。しかしやる前からどうせ自分には...と諦めることだけはしないでほしい。それがどれほど困難なことであろうと挑戦し、頑張り続けてほしい。そうすれば夢をかなえることだって可能なんだ、と私は思っているし、実際にそのことを受験を通して証明することもできた。
君たちの可能性は無限大だ。
心から君たちの夢を応援しています。
早稲田大学に入学した私が、学部のいろいろについて書いた
早稲田大学政治経済学部の紹介もぜひ読んでみてください!
イクスタの創業者、土井による論理的・戦略的な受験計画と戦略の作成
過去問に入る時期や基礎完成の時期などいつ何をやればいいか、完全にコントロールできるようになる必要があります。
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