歴代で早慶0の高校から早稲田大学法学部に合格するまでの軌跡
私の受験経験(現役〜浪人まで)をその時の感情を交えながら記述しました。主に偏差値が低い高校の人、「自分なんか………」と思っている人に向けたものです。これを読んで誰でもやれば難関大に入れるんだと感じていただければ幸いです。
ゲーム・アニメ・漫画に生活時間の大半を割いていた私の転機
私は中学校の頃から勉強をほとんどせず、ゲームやアニメばかりで、勉強だけでなく部活にも真面目に取り組んでいなかった。高校はD判定だった偏差値50程度の公立高校に運良く合格したが、高校でも1年生の頃は250人中200番ほどをさまよっていた。
しかし、高校2年になってすぐの実力テストで少し勉強をしたら順位がかなり上がった(これは私に才能があったからではなく、周りの人が勉強しないからだ)。私はこれに心底驚き、少しの優越感を抱き、「俺はこの学校でどのくらいまでいけるのかな」と思うようになった。
そこから私は勝手にクラスで頭良いと言われてる男をライバル視し、そいつに負けないようテスト前にがっちり勉強した。そしたら次のテストでその男に勝ったので、次はクラス1位のやつ、次は学年で5番のやつ………そして学年1位のやつ。そしてその人にも勝ち、私は学校では一番になった。うなぎ登りだった。2度目になるが、これは決して私の地頭が良いからではなく、周りのレベルが低かったからだ。
この頃にはすでに3年生であったので、進路を決める必要があった。1位とはいえ勉強に熱心な高校ではなかったので私は地元の偏差値55程度の公立大学を志望することにした。(これでもかなり凄い方)
3年生4月 英語50 国語80 日本史4(笑) 公立志望でしたが、他教科は省略します。また記録が残っていなかったので、おおよその点数です。
2ちゃんのタイトルにみごとに釣られた哀れな男
もくもくと勉強していた私の成績はどんどん上がっていった(とはいっても6月のマーク模試では英語は80点きっていた笑)。しかし、私は8月にある大きな転機を迎える。
勉強休みとしてスマホで2チャンネルのまとめサイトを見ていた時、ふとこんなタイトルを見つけた「3ヶ月で慶応に受かる方法!」。
調子に乗っていた私はふと興味をもち、こう考えた「もうすぐ9月で、2月が入試だから……5ヶ月?しかも私立だから3教科でしょ?余裕じゃん!!」。大したバカである。内容も読まず、タイトルに騙された哀れな男だ。
しかし、それに気づかない私は取り憑かれたように慶応に入りたくなった。親に相談したらなぜか「いいよ」と言ってくれたので、本格的に私立(慶応)を目指すことになった。
とは言ったものの、元がひどい。その年は慶應にも第二志望の立教にも見事に落ちた。滑り止めの大学には受かったけれども、謎のプライドに突き動かされ、浪人を決意したのだった………
3年生8月 英語90 国語80 日本史50
3年生9月 英語110 国語80(漢文なし) 日本史55
3年生10月 英語120 国語100 日本史60
3年生11月 英語140 国語110 日本史70
3年生センター模試 英語150 国語110 日本史80
3年生センター本番 英語160 国語120 日本史80
偽りの順調だった浪人時代前半期
浪人することになり、私がまずしたことは情報収集だった。
そして4月から本格的に勉強をはじめた。一番最初の模試の成績は慶応法学部がB判定で悪くなかった。また、予備校の中でもかなり上の方だった。従って、私はこの成績をキープすることに専念した。しかし、そこが甘かった。成長しようという気がなくなってしまったのだ。
浪人4月 英語186 リスニング42 国語182 日本史95
浪人時代はずっとこんな感じの点数でした
偏差値80だったが、それでもなお高みをめざし、勉強法を一新した浪人時代後半
そのため、夏までの期間で私の成績はあまり伸びなかった。夏に過去問を解き、自分の実力の無さに気づき、焦った私は勉強方法を1から変えることにした。私はここでイクスタのサイトに出会い、日本史などの記事を参考にした。予備校の担任にも相談したのだが、何となく信頼性に欠ける時にはイクスタのLINE@でも相談をしていた。そして、それまでは多くの参考書を浅く広く使用していたのだが、そうではなくて予備校のテキストに集中して取り組むことにしたのだ
英語、国語のテキストは予習、復習を徹底した。日本史に関しては一問一答を繰り返した。(日本史に関しては一問一答に頼る勉強法を否定する人もいるので、私の勉強法を鵜呑みにするのは危険⚠)
『私が使っていた速読英単語(必修編)です。100周くらいはしたと思います。』
『日本史1問1問の表紙画像です。表紙が何回も破れるくらい使い込みました。』
『日本史1問1問の中のページです。わからないところには付箋を貼ったり、書きこみをしたりしました。』
『LINE@でわたしが実際にした質問です。』
このおかげで偏差値自体はさほど変わらないものの、過去問を解くと成長しているという実感が生まれはじめた。また、センター試験でも英語では満点を取り、Marchはセンター利用でとるなど、順調であった。しかし、ある意味これのせいで周りの期待が膨らみ、プレッシャーも大きくなっていった。
浪人センター本番 英語200 リスニング36 国語135 日本史96
ここにきてのスランプを耐え忍んだ直前期
順調に行っていたと思われていたが、私はスランプに陥ってしまった。過去問を解いていても合格点に届かない。焦りに焦り、自信を失い、受かる気もしていなかった。しかし、周りの友人や予備校の先生やライバルに「慶応に受かりました!」と報告し、自分のプライドを守るためにも落ちるわけにはいかないと考えた私は今まで以上に死ぬ気で勉強した。また、これは受け売りだが「スランプは抜け出すものではなく、耐え抜くもの。」という言葉を本で読み、その言葉を信じることで頑張れたとも思う。
なんなら本当に落ちたら自殺する気だった。もし早慶に落ちたら親や予備校の先生方にどんな顔をして会えばいいか分からなかった。そして毎日10時間以上勉強した努力が実らなかったら私は私自身を見限っていただろう。
結局、受験当日までスランプからは脱却しなかった。また、最終日の早稲田政治経済学部の受験前日にインフルエンザにかかり、受けることが出来なかった。
運命の時
前述したように、最悪のコンディションで受験に望んだ私は早慶にひっかかる確率は五分五分だと考えていた。最初の発表は第一志望の慶応法学部だった。
「先延ばしにしても仕方ない、すぐ見よう。」そう思って私はすぐに発表をみた……落ちていた。なんだかんだ受かってるかなと楽観視していた私は絶望の淵にたった。
「もう一浪しようか、もしくはMarchで妥協するのか。」
そんな悲観的なことばかり考えるようになった。
しかし、早稲田大学法学部の合格発表日、この日私はここに落ちていたらもう一浪する覚悟でいた。
ネットの掲示板で自分の番号を探した。
手で隠しながら少しずつ少しずつ見て言った。
「あった、あった、あった!よかったぁ!」
喜びというよりは一年間の努力が報われたという安心感の方が強かった気がする。はじめて自分の力で勝ち取った結果に思わず泣いていた。予備校の先生や高校の先生は本当に喜んでくれた。
どんなにまわりにばかにされても気にするな!
それはどんなに偏差値が低い高校でも、どんなに周りにバカにされているほどのバカでも、意識を高く持ち、周りに流されずに努力すれば志望校に入れるということだ。
私の先輩にも偏差値40程度の高校から早稲田大学法学部に現役で入った人もいた。周りにはあなたのことをバカにする人もたくさんいるだろうが、そんな奴らは無視して本当に自分のことを考えてくれる信用できる大人を探してほしい。あなたの心の支えになってくれる大人は必ずいる。
また、もう1人探してほしい人はライバルだ。現時点では相手があなたとはかけ離れた実力の持ち主だったとしても、その人を目指して頑張ろう!と思えるような人を見つけてほしい。その人はあなたにやる気を与えてくれるはずである。
イクスタの創業者、土井による論理的・戦略的な受験計画と戦略の作成
過去問に入る時期や基礎完成の時期などいつ何をやればいいか、完全にコントロールできるようになる必要があります。
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